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| 第3回国際コンペティション「名古屋デザインDO!
」 ●テーマ:「弱さ」ということ The Power of Fragility |
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| 人間は、鋭い牙も丈夫な毛皮も持たないフラジャイルな存在。むしろ、そうした生物学的な「特殊化」を拒み、子ども化(ネオテニー)ゆえの「弱さ」と「未熟さ」を引き受けることで、この裸のサルは進化史から逸脱するほどの大ジャンプを挙行した。 人間の人間たる所以、その強さと柔らかさの源泉は、まさに”弱さへの賭け”にほかならない。人類の新たな千年紀は、こうした「弱さ」の価値の再発見、20世紀が追い求めた過った「強さ」の超克から始めてみるのもいいかもしれない。 だが、それは単純な近代文明の否定でもなければ、「地球にやさしく」「人間にやさしく」といったナイーブなスローガンで表現されるだけのものでもないはずだ。たとえば、昨今のいわゆる「弱者」に照準を合わせたユニバーサル・デザインの動向が、果 たしてこのような人類固有の”弱さの強さ”を引き出しうるものかどうか、あらためて考えてみなくてはならない。 人はつねに未知の媒体や環境と関わることを通 じて、自発的に新たな情報を生み出し、世界と自己についての知識を再編してゆく。迷いつつ熟達する余地もないような、一方的に“人に優しい”だけの道具や環境は、弱さを資源として無限の可塑性に開かれてゆく人間という存在にふさわしいものとは言えないだろう。 「弱さ」は、補完し隠蔽すべき対象ではなく、それ自体が豊かな創造性の源なのだ。ある種の欠如や余白の存在が、さまざまな異質な要素との出会い(ネットワーキング)を動機づけ、またそれに支えられて、私たちはその欠如をリソースに転化してゆく。そのことが制度や因習にとらわれない、もっと多様な人間のあり方へと、私たちの想像力を解放してゆく。 そうした”弱さの強さ”を引き出すのは、やはりパートナー(道具や他者・環境)の側のある種の「弱さ」なのかもしれない。 たとえば未来の人間共生型ロボットには、完璧なサービスを提供する完全な機械としてのイメージよりも、存在としてのある種の「不完全さ」が要求されてくるだろう。人とのインタラクションで人間を傷つけないだけの物理的なfragilityとともに、メンタルなパートナーシップを涵養しうるだけのある種の欠如が、関係の余白としてポジティブな価値を持ちうるかもしれない。 クルマなども、20世紀の道路環境の暴力性を考えれば、甲殻類的な強さや高速性といった”強い進歩”を競う時代から、魚類的な柔軟さと側線的なコミュニケーション感覚を育てる段階に、そろそろ入ってもいいはずだ。 さらに、「老い」や「はかなさ」(ephemeral)といった時間的な有限性の問題も、“弱さのデザイン”を考えるもう一つの重要な価値基軸だろう。 生命進化史においても、多様性と関係性に開かれたデザイン戦略としての「性」は、自己有限化戦略としての「死」(アポトーシス)や「老化」のメカニズムと一体のものとして出現している。 今後の人間と人工知性体とのパートナーシップという場面で考えてみても、たとえば老いや死をプログラムされていないロボットが、果 たして人間と有意な時間意識(記憶や歴史性)を共有することができるかどうか疑問である。 むしろ時間を超越する強さをもたないことが、人間と生命と創造性の担保なのだということを、自らのデザイン行為を通 じて再発見してゆく世紀になるかもしれない。 ”弱さの強さ”を担保するような「弱さのデザイン」――。 この国際コンペの企画は、こうした新たなメタ・デザインのパラダイムを模索する旅への誘いである。 ※このコンペティションのテーマは、内田繁、佐藤卓、竹村真一、内藤廣、水越伸、山田裕一 の各氏で構成されるテーマ委員会により決定しました。 |
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| ●全体講評 | ||
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(内田 繁 氏)
見えるもの、触れるものの向こう側にあるもの。つまり、見えないものに存在する何かが、我々に伝えるべきメッセージをどれほど持っているか、ということを考えてみたい。 物質に対して非物質的なものが、どれほど我々に影響を与えているのか。20世紀は見えるものだけを確かなものとして評価してきた傾向があるが、そうした従来の価値観に対して、新しいものの見方が求められている。 このコンペでも、そうした新しい価値観を示す作品を選出した。 (川崎和男 氏) 「弱さ」というテーマに対して、単に弱さを表現することにとどまらず、我々に何か問題を突きつけてくれる表現、挑発をする作品を評価したい。表現の巧みさにはあまりとらわれたくない。 例えば、金賞の「Hand-y-cap」という作品に、私自身は障害者が自らのハンディキャップをことさらさらけ出しているような、一種の悲しさを感じてしまい、最初はやや嫌悪感も持ってしまった。しかし、同時に見る側に強い感情を喚起させる挑発性こそこの作品の魅力でもあり、そうした力を秘めた表現を評価したい。 (佐藤 卓 氏) 「弱さ」という、まるで今まで意識の外にあったかのようなテーマ。このテーマは、このコンペティションで終わるような小さなテーマではない。環境に対して、そして自分自身に対して、このテーマは今後大きな問題提起にならなければならない。今までの「弱さ」に対してのイメージの刷り込みを洗い流した時、たぶんそこには我々がこれから進むべき無限の可能性を秘めた新しい世界があるように思える。このコンペティションは、そういう可能性を秘めた「点」を見つけるということに他ならない。審査員である自分自身にも 問題を投げかけるテーマであった。作品の視点に気付かされることも多くあり、このテーマが一回のコンペティションで終わるのは残念な気がする。出品作品全体に感じたことは、グラフィック作品以外のものの出品の仕方にもっと工夫が欲しいということである。 (印象に残った作品) グランプリに選ばれた作品は、テーマに対する解釈、視点、表現力、どれをとってもすばらしい作品であると思う。個人的には、銀賞に選ばれた「Dialogue:Made in Misapprehension 」のデリケートなきわどい表現、同じく銀賞に選ばれた「Key Parts」の誰でも知っている卵の殻の体験を引き出すような作品にとても魅力を感じた。同じく銀賞の「Wow! 1 ! 2 ! 3 ! 」のミニマルな作品も、見る側に考えさせるという点で可能性を感じた。いずれにしても、今回出品してくれた方には、これからもこのテーマを自分の中に常に持ち続けていてもらいたいものである。 (竹村真一 氏) 今回のテーマ「fragility」は、単にネガティブな弱さではなく、弱さをもっているがゆえの創造性や強さが、人間や生命には存在するのではないかということを考えたかった。生命や人間が本来持つ資源としての「fragility」の価値に対して、今の文明がいかに幼稚で愚鈍な解決策しか持ち得ていないかという批判性を感じさせる作品も幾つかみられた。「弱さ」そのものの表現とともに、こうした批判性を大いに評価したい。またこのコンペの意義として、新人を発掘するとともに応募者からのメッセージを社会的発言としてすくいあげていく行為が重要だと思う。 (山内瞬葉) 「弱さ」は「強さ」との比較ではなく、ひとつの存在であるとコンペティションで教 えられた。弱いという証明に鎧を着せようとする人、その「存在」を見つけてくる人、 さまざまな答えに多くのことに気づかされた。作品「蟻」から、弱さと対面したとき に発揮する技術を思いおこす。「歴史に触れよう」は社会生活で感触を忘れてしまっ た人にざらりとした感触と、消えるであろう足跡の無情を心に打ち込んでくる。 募集ポスターは無数の水滴の「はかなさ」、それと存在を同じくする人物、テーマを 表現できたのだろうか。入賞展では無数の弱さの存在から見えてくる人間の存在、ま た受賞の栄誉と人が一般的に持ち合わせる欲望を金色に表した。時間が経った今、い くつかの作品が時折頭をかすめる。多くの作品が私の進むべき方向を示してくれた。 *山内瞬葉氏は「名古屋デザインD0!2002」の応募要項、募集ポスター、入選作品展などのグラフィックデザイン全般 を担当 (カレン・ブリンコー氏) 「弱さの力」コンペには、全世界のプロや学生から1800点近くの多くの応募があった。これは、応募者の多くが弱さという概念や弱さと自分との関係などをコメントしてきたことも合わせ、当コンペのテーマに多くの人が触発された現れであろう。入賞作品は、控えめであったり明らかであったりと表現の違いこそあれ、どれも「弱さの力」をよく伝えており、私達一人一人を作り上げている個々の要素は、現在世界中に吹き荒れる変化の嵐にも耐えうるものであるという強さと希望を与えてくれるものである。また、無邪気さを保つことは可能である、小さきものでも強くなれる、我々にはまだ歴史や差異といったものを受け入れる余地がある、ということを実感させてくれるものである。歴史の足跡を描いた作品、蟻と小枝を描いた作品、空色の背景に白い線を描いた作品、香と光の閾の作品など、こうしたメッセージを控えめに伝えている作品もあれば、こぶしかピーマンのように見える作品、卵を写 した作品、命とその衰退を描いた作品など、弱さの力をもっと明らかに伝えている作品もあった。様々な分野の作品を垣間見ることができ、国際的な違い、男女の作風の違いなど、多くのコンセプトに触発された審査であった。 (アレックス・ケリー氏) 「弱さ」というテーマを多様に表現した作品としてグランプリ作品を最も評価する。歴史というものは忘れられやすいものであり、この作品に表現された砂についた足跡も、風や波で簡単に消えてしまうはかないものだ。また足跡は時間の中を旅する人間をも象徴している。また、裸足で砂の上を歩く姿には、西洋文化とは異なり、靴をはくことが重要視されないアジア的文化の発想が見られ興味深い。人間は脳で考えるだけでなく、足でも考える生物だと感じさせてくれる。TV画面 のノイズのような横線の表現は、何かメディアが失われて行く様子にも思える。 (ロス・ラブグローブ氏) このコンペの問題提起に対して、解決策としてのメッセージが明確に示されているいるもの、またそのための表現力が優れたものを評価した。中国からの応募作品にとても興味を持った。中国は世界の中で最も急速な成長を遂げている国で、その発展には当然痛みも伴っており、自己分析も厳しく行われていると思う。グローバルな意味から考えても、中国で起こっている問題は、世界の問題といってよい。環境政策に挑戦する強いメッセージが感じられる作品が多かった。 (ケン・ヤング氏) コンセプト、テーマへの解釈とともに、その提案が公共にどのようにインパクトを与えるか、ということを重視する。社会的なメッセージ性のあるものを評価したい。グランプリ作品にはアジア的な感情が感じられる。また金賞の「ant」は、一見何もない白紙のように見えるが、実は非常に小さな蟻と小枝が描かれている。蟻のような小さく弱いものでも、大きなことができる、サイズは問題ではないという、とてもシンプルなメッセージである。 蟻が抱えている小枝が「アンテナ」のイメージにも見えるのが興味深い。 |
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